モテるために努力する と言うのが正直わからない
モテるためにマメになれとか、こう言うファッションがいいとか、こう言う振る舞いをせよ、とか色々テンプレがあったりするけれど、それが意味があるのか?と感じている。
具体的に言うと、例えば、ロレックスの腕時計を着けている男がモテる!という話があって、実際それが事実だとしてもだ、自分の本音はロレックスが嫌いだった場合は、モテても嬉しくはならないんじゃないか?
それはロレックスがモテているだけで、本当はロレックスが好きじゃない自分はモテてないわけでしょ?
モノじゃなくても、例えば、ネガティブな事を言うな!という教えがあって、ポジティブな発言を意識して行って実際モテたとしてもだ、実は内心はめっちゃネガティブだとしたら、ポジティブを演じている自分がモテているだけで、本当はネガティブな自分がモテているわけではないでしょ?
なんでもいいからモテる事が目的ならば、とっても合理的なのはとてもよくわかるんだが、その行為は、「自分という個性を捨てる」と言うことに他ならないのではないかと思えて仕方がない。
本来の自分を捨てて、雑誌に載ってるようなテンプレ人間になってモテたとして、それはHAPPYな事なのか?
結局、素の自分がモテないから、違う自分を演じてモテたところで、どこまで行っても素の自分が永遠にモテる事はないって事になる。
なんて事を思っていると、本当にモテない人生で、多分一生独身の見込みです。
でも、これからも演じない自分で生きていきたい。と思っている。