あれ?最近、笑ったっけな?
「最近嬉しかった事」というセンテンスがふと目に入った。
最近、何で笑ったっけな。
会社で笑ったな。
あぁ、アレは愛想笑いか。
お昼時間は嬉しいな。
あ、でも別にランチの際に笑っちゃいないな。
布団に入って寝るときは幸せやな。
でも、笑って寝るなんてことはないしな。
最後に笑ったのは、いつだっけか。
この瞬間、お前のやっている行動は、お前の中で一番優先度の高いものか?
本当にやるべき事をおざなりに、後回しにしてないか?
今、やるべき事が”待ち”になってるからって、次にやる事は本当にそれか?
というか、今やってる事って本当はやらなくていい事を無理やりやる事リストに加えたものじゃないか?
お前が今やるべき事が本当にそれなら、どんどんやれ。
もし、万が一やらなくて良い事を今やってるなら、本来やるべきもっと大切なものの進捗が止まっているぞ。
自分が余計な事をやってる間に、真に大切な事を実行している他人は、ずっと自分の先を行ってるぞ。
相手が歩みを止めないで最適に道を進んでいれば、自分が余計な回り道をしている間に開いた差は一生埋まることのない差になるぞ。
今、真にお前のやるべき事は何なんだ?
他人を助けるには、自分が強くなくては助けられない
ちょっと身近な友人Aが、その知人の相談事に乗っているうちに、友人A自体がドンドン病んでいくという話があった。
友人Aはとても優しいんだが、元から精神的に弱いタイプ。
その話を聞いて思うんだが、はっきり言って、人を助けるには、まずは自分が強い事が必須な条件だと強く思う。
さらに、誤解を恐れずに言うと、正直弱い人間ってのは他人を助ける資格がないんじゃないかと思う。
例え話でいうと、海で溺れている人がいて、泳ぎの不得意な人が単なる優しさで溺れている人を助けにいくと、溺れている人もさらに危険にし、助けに行った人も二次災害的に溺れてしまい、更に助けが必要な状況になる。
って言っても、そんな理屈だけで世の中は成り立っておらず、人を助けるという行為は美談であり、他人への手助けの手を引かせるなんて行為は人でなしと見られがち。
さらに、強さを持ち合わせた人間は他人に手を差し伸べる優しさを持っておらず、他人を積極的に助けようとする優しい人は弱い人ばかり。
とかくこの世は理不尽さに満ちている。
信賞必罰(しんしょうひつばつ)
しんしょうひつばつ【信賞必罰】功績ある者は必ず賞し、罪過ある者は必ず罰すること。賞罰を厳格にすること。
仕事をすればするほど、仕事に慣れ、ノウハウが溜まっていき、処理速度が上がり、知識がつき、信用が増し、結果新たな仕事が増える。そして残業も増える。
仕事をしない人間は、仕事に慣れず、ノウハウが溜まらず、処理速度は落ち、知識は劣化し、信用を落とし、結果新たな仕事が回ってこない。そして、定時で悠々と帰る。
でも、なぜか 給料が同じ!
給料を上げる事が厳しい、ならそれでいい。
頑張ってない人間を罰してくれ。
ただ 信賞必罰 を求めるだけの望みが、叶わない。
真面目がバカを見る職場は嫌だ!
真面目がバカを見る社会は嫌だ!
真面目がバカを見る人生は嫌だ!
ここ数年で俺が一番衝撃的だった事
ヨーグルト
の
ふた
多分知ってる人は今更と思うか、もしかしたら、これが当たり前なのかもしれないが、
今のヨーグルトのふたは、ぺりっとめくったあと、裏ぶたをべろべろ舐めたり、スプーンでこそげ落としたりしなくてよくなってる。(裏ぶたにヨーグルトがまったく付いてない!)
これを初めて見た時は、魔法かと思った。
目の前の光景が現実に見えなかった。
裏ぶたの表面加工技術によるものらしいが、
詳しくは、森永の以下のサイトの動画を見て欲しい。
自分は別に長生きしたいと思わないタイプだが、このヨーグルトの裏ぶたを見れた時は生きててよかったと思った。
もっとこの技術は讃えられていいと思う。
あまりにひっそりと改善されすぎてて、あまりに地味すぎる。
この技術はもっと多くの人に知ってもらいたいとヨーグルトのふたを開けるたびに思う。
今日もヨーグルトがうまい。
行き過ぎたミニマリストと拒食症がかぶる
誤解を恐れずに、思ったまま言うと
昨今の行き過ぎたミニマリストなどを見ていると、病気なんじゃないかと思えてしかたがない。
いや、ミニマリストや拒食症をバカにしてるわけじゃなく、心配な意味で。
別に自分に”正しい生き方”なんて説く力も立場もないんですけど、
ふと、テレビなんかで、過剰なミニマリストや逆のゴミ屋敷住人なんかをテレビで見ていると、摂食障害と似たものがあるなと思ったので書いてみた。
まずは、以下に拒食の心理や症状なんかをwikipediaから抜粋してみた。
典型的なANの患者では、体重を落とすために始めたダイエットで達成感が得られ、体重を落とすことを止められなくなってしまう。低体重であっても自分の体重を多すぎると感じ、さらに体重を減らすことを望む。鏡を見ても「まだまだ痩せられる」と感じるのみであり、体重が低すぎるとは考えない。
自分の思う通りにならない自分を、摂食行動において完璧にコントロールし、痩せを維持できることは、万能感・高揚感を与えてくれる体験である。食事をコントロールし、自らの体を過度にコントロールしようとする心性の背後には慢性的な不安が控えており、摂食障害者は一様に強迫的な性格傾向を有する。
自分には何の取り柄も無いという自己不信を根底に抱える人は、その抑うつを防衛するために、人とは際立って違う、優れた、特別な自分であり続けなければならない。彼らは幼い頃から常に「自分が自分以上でなければならない」という強迫観念に支配されている。やせを実現するには、食欲を抑え、自分に打ち克つ必要がある。やせる事に成功した時には、自分をコントロールすることが出来たという万能感が得られる。幼い頃から課題に挑戦し、自分に打ち克って結果を得てきた彼らは、結果を出す事で得られる賞賛と万能感により、中核にある自己不信を救済する。
彼らは負けず嫌いであり、そしていつも負けていると思っている。現実の中で特別な価値の獲得に失敗した人は、「せめてやせていないと取り柄がない」という感覚から、誰もが望み、簡単には出来ないダイエットへと挑戦する。やせることは最も身近な外的価値の収得であり、ダイエットの成功は直接的に自己価値を高める。それはやせることには価値があり、その為には努力しなければならないからである。価値意識は「どれだけやせているか」へと変換され、体重増加は恐ろしいほどの価値の低下に繋がる。他と変わらない体重は「並」「平凡」「普通」であるため、輝くことで自己不信を払拭してきた彼らには決して許容することが出来ない。やせを希求する女性にとって、男性はほとんど意識されておらず、その競争相手は同じ女性である。人よりやせていることは、現代社会の価値観においては「勝った」ことに繋がる。人よりやせる事は、常に人より上に立ちたい、勝ちたい、輝きたいと願う彼らの存在証明でもある。拒食は自己愛の病理と深く関連しており、自己愛性心性を扱うことが求められる。
こんなところ。
この引用を、体重=モノ、やせる=モノを捨てるでもう一度読んでみて欲しい。
なんか、行き過ぎたミニマリストに対して感じる違和感にしっくり来るものがあったんですよね。
そもそも、昔から、最小限のモノで質素に暮らし、それに満足している人たちというのは普通にたくさんいた。ただ、そういう人たちはごく普通にひっそりと暮らしてた様に思う。
今のミニマリストはやけに、ミニマルであることを自慢しアピールし強要してくる部分が強く感じる。
他人にミニマルである事を認めてもらう事を強く欲求しているみたい。
別にこれを書いて、ミニマリストを批判したいわけでもなく、私も、みんな生きたいように生きればいいじゃんと思ってる。
ただ、ミニマルをなんでこんなにも強要してくるの?という昨今の風潮への違和感と、ミニマリストは本当にミニマルを純粋に求めてるの?という違和感に対する気付きを書いてみただけ。
みんな、拒食せず過食せず程よく暮らしていきましょうよ。
今更ながら、いや、今更だから思う。ショーンKって素晴らしい人物だった。
仕事に意欲がないやつ、努力を怠るヤツはショーンKを見習え!って思うんだ。
分不相応にも思える人生のヴィジョン・目標を掲げ、もともとハーフでもないのにネイティブに見紛う程の英語力を努力で身に着け、コンサルティングの実績の一つもないのに、相当なコンサル力を見せつけるしゃべりや振る舞いを努力で身に着けた、その向上心の凄さは並ぶもののない偉人だ。
彼の目標達成力、ヴィジョンの実現力に異議のあるものはいるのか。
潔白なだけの無能はショーンKを見習うべきだ!